ケニア旅行記

ケニアの田舎でボランティア(by めるさん)

ケニア
このたび、あるNGO団体を通し、ケニアの田舎にボランティア活動に行ってきました。
ナイロビから南へ6時間程、走ったところにある、TAITA地区、TARIOという超田舎の農村地帯で、2ヶ月間の生活が始まったのです。
初めて村に到着したときは本当に驚きました。
まるで縄文時代?電気、ガス、水道、何もありませんよ。
何もかもがはじめての体験。子供のようにひとつひとつ、覚えていきました。
プロジェクトは小学校でのイベントの企画、運営、授業、地元のコミュニティと村の収入を得るためのアイデア作り、など。ですが、なかなか難しいですね。
こんな風に生活している人たちがいるんだぁ。こんな何もなくても生きていけるんだぁ。そんなことを毎日思いました。
しかし、かけがえのない経験でした。

【旅行時期】2007/03/21~2007/06/09
【エリア】ケニア
【テーマ】ボランティア
【投稿者】める

マサイ村でまさかの…。(by kyonaさん)

ケニア
ケニアの南西部からタンザニア付近に居住し、家畜とともにアフリカの昔ながらの
暮らしぶりを続けるマサイ族の村を訪問しました。
村長の息子と名乗る男性に出迎えられ、入村にあたり、まず20US$を支払います。
赤い布をまとい、カラフルなビーズのアクセサリーで着飾った男女約30名が一列に並び、
独特のジャンプによる歓迎を受けました。
目の前のウルルンの世界に感激していると、男性陣による石や木の棒を使っての遊びや
火起こし棒で火を起こすところを実演しながら、英語での村の生活についての説明が始まります。
英語が話せるとは思っていなかったので、ちょっと驚き…。
そして、村長の息子さんの家に案内されました。
中に入ると薄暗くて、よく見えないけれど、奥さんと男の子がひとり。
間取りは土間に部屋が2つ。
1つは夫婦の寝室で、1つは子供部屋だそう。
土間の真ん中では大きな鍋で牛肉が煮込まれています。
ところどころに人間の顔ほどの穴がくり抜いてあるだけなので、家の中はかなり熱がこもった状態です。
次に学校(学校と言っても12畳ほどの教室が1つ)に案内されると
教室にはマサイの民族衣装を身にまとった先生1名に、
かわいい子供たちが約20名。
歓迎の意を込めて、A〜Zまでを軽快なリズムにのせて、唱えてくれました。
すると、どこからか音楽が聞こえてきます…?
「次は音楽に合わせて、お歌を歌ってくれるのかしら?でも、なんかこの音って…?まさかね。」
と思った次の瞬間、先生が話はじめたら、音楽も止まりました。
えっ?え〜〜〜っ!先生が携帯で話してますけど…。
マジですか?だって、ここマサイ村ですよね?
あなた、マサイ族の方でしょう?
火起こし棒で火を起こして、生活しているんですよね?
さっき、他の方が見せてくれたましたよ。
な、なのに携帯って…?ここ圏内なの?電波、届くの?
『マサイ族=携帯電話』の図式がどうしても
すぐにのみこめず、呆然と立ち尽くし、自問自答を繰り返す私。
こんな事を暴露して、これからケニアを訪れ、マサイ村を訪問しようとしている人、ゴメンなさい。
しかし、あまりに衝撃的な出来事に私の頭は真っ白に。
正直、ちょっと興ざめしてしまった瞬間でもありました。
やっぱり、観光用の村だったのか…。

【旅行時期】2006/09/08~2006/09/17
【エリア】アンボセリ
【テーマ】大自然・動物
【投稿者】kyona

Eritrea(by kmさん)

ケニア
エリトリア

*アフリカ一若い国
エチオピアから30年に及ぶ戦いの末独立を勝ち取ったアフリカで一番新しい独立国、それがエリトリアだ。この地を失えば紅海へのルートを失い内陸国になってしまうエ
チオピアは、エリトリア独立をなかなか容認せず、エリトリア独立戦争は30年にも及
んだ。そんなエリトリアでは自由よりも快適さよりも平和と協調がより重要の価値に
なっているように見えた。
例えば、店の看板・広告・車のナンバー・・・目にする文字全てがティグリニア文字
(エチオピアのアムハラ文字と共通)、アラビア文字、そしてローマ字の3種類表記
だ。田舎の村では、ローマ字表記ないものがあったが、ティグリニア・アラビアの文
字はいつも仲良く並んでいた。この国ではキリスト教(ティグリニア文字使用)・イ
スラム教徒(アラビア文字使用)が50%ずつ丁度拮抗しているそうだ。南に「キリスト教国」エチオピアを、西に「イスラム教国」スーダンを抱える小国エリトリアは、ひとたび宗教対立・民族対立が顕在化してしまえば常に周辺国の介入を招き戦争に突入してしまう危険がある。30年掛けて勝ち取った平和を大切に守っていこうという意気込みが、看板一つ一つから伝わってくるような気がした。
なお、キリスト教といっても、この国の主流はカトリックでもプロテスタントでもな
い。ヨーロッパ列強がアフリカに進出してくるはるか以前から存在していた正教
(オーソドックス)だ。英語の分かるエリトリア人は、Greek(ギリシア正教)だと
いっていた。対エチオピア感情が悪いので認めたくないのは分かるが実際にはエチオ
ピア正教と教義が同一だ。

*30年ぶりの帰国
いつかエチオピアから陸路で行くと決めていた国、エリトリア。一向に開かれない陸路国
境をあきらめ、空路訪問することにした。まず問題になるのが入国ビザの手配だ。かつて在日エリトリア大使館がなかった頃は在中国大使館と国際電話・FAXでやり取りしたが結局ビザは取れず、さらにイエメ
ン他周辺国でビザを取得しようとしたときも大使館閉鎖またはビザ取得に時間がかか
るということであきらめ、結局ビザが取れないがために行きそびれてしまっていたのだ。近時開設された在日エ
リトリア大使館でようやく取得したビザに興奮していると、今度は別の問題が。カイロ-アスマラの直行
便は乗客過少のため日本発直前にキャンセルを決定したというのだ。周辺に友好国が少ないエリトリア
では当然空路アクセスも限定される。2日後のジェッダ経由で入国せざるをえない。
私としては数ある苦難を乗り越え待ちに待った訪問のつもりだった。しかし、私よりも遥かに渡航を待ちわびていた人がいた。

それは、JEDからの飛行機隣の席の「エリトリア人」S氏、なんと30年ぶりに母国に
「帰国」するのだという。39歳のS氏は9歳で戦火を逃れ両親とスーダンに出国、長いサウジ亡命
生活を経て、今はイギリス在住、イギリス国籍を保有している。ビデオカメラ片手に
静かに興奮しているS氏に私は尋ねる。1993年5月に国が独立してから12年もたつと言
うのに、今まで何故戻ってこれなかったのかと。エリトリア系妻との間に4人の子供
を持ち、ロンドンで小さな食材店を営むS氏は私に答える。「That is the life!」
 人生とはそんなものらしい。

機内を見渡すと、散見される赤白チェックのカフィーヤ(典型的サウジ風着こなし)
を被った男たち。彼らも長くサウジ生活を送ってきた「エリトリア人」だそうだ。S
氏は、国民食インジェラも、蒸し暑い環境も大好きだと言う。奥さんはエリトリア系で家庭では。誘惑の多いロンドン暮らしにもかかわらず酒は飲まない敬虔なムスリムで、子供たちをコーラン学校に通わせているという。S氏は30年間の異国暮らしを経てもなお「エリトリア人」なのだ。

* 深夜の屋台で Y君のこと
フレンドリーな挨拶はあたりまえ、英語もなぜかよく通じるこの国で、フレンドリー
に英語で話し掛けてきたYに、はじめは違和感を覚えなかった。なにより、屋台で現
地食を素手で食べている彼は現地人にしか見えなかった。でもいわれてみれば彼は現
地では見られないデニムの短パンを履いているし、現地の人は彼に英語で話し掛けて
いる。アメリカ育ちの彼は、本当に現地語が話せないのだ。そしてアメリカに住んで
いなければ習得し得ない流暢なアメリカの黒人英語を話している。落ち着いた性格。
うそつきではなさそうだ。彼の、モロッコでの、アメリカでの、イスラエルでの、そ
してケニアでの信じられないような一連の話はきっと本当なのだ。
冷戦下ではエチオピアをサポートしたソ連に対抗し、アメリカがエリトリアに拠点を
置いたのだろうか、Yによるとエリトリアに米軍基地があったらしい(真否未確認、
というか確認できないので間違いではないか)。アメリカ軍人だった養父とともにア
メリカに渡り、アメリカで育ったが、わけあって一人マッサワに住むY。仕事もな
く、夢もない。町全体が遺跡のようなマッサワの蒸し暑い夜、猥雑な音楽をバック
に、僕らは、夜更けまで話しこんだ。


* 日系米人Oさんのこと
何度も間違えながら思い出し手帳に書いてくれた縦書きの名前には見たことのない虫偏の漢
字が含まれていた。人の名前に虫偏はありえないでしょう・・・と思いつつ、帰国後調べて
みると、「蛟(みずち)」、龍の一種らしい。太平洋戦争中日系アメリカ人を強制収
容するためのキャンプである、悪名高きマンザナールその他3つのキャンプを転々と
しながら幼少時を過ごしたO氏は、マンザナール「同級生」のゴードンサトウ氏のマ
ングローブ植林プロジェクトを視察するため1999年にマッサワを訪れた。その数ヵ月
後には、この地でリタイアすることを決意し、移住。以来、6年になる。日本には戦
後日本に戻った父とともに数年博多に住んでいるということで、片言はなせる日本語
は博多弁だ。「(終戦直後は食べ物がなくて、)町の人、困っとったんよー」。珊瑚でできた古い家が並ぶ、蒸し暑く眠たい港町マッサワ、波乱万丈の人生を送ってきたOさんがゆっくり老後を楽しのにぴったりのような気がした。

*勤勉で清潔好きな国民性
オイルマネーで外国人労働者に清掃させているリビアは別として、自国民が自らの意
思と努力ででこれだけ清潔さを保持しているアフリカの国を私は知らない。首都のアスマラと
マッサワを結ぶルートしか知らないが、道端のごみが少ない。朝6じ頃アス
マラの町を散歩してみると、雑巾で車体をぴかぴかに磨いているタクシードライ
バー、店の窓を腰をかがめて拭く女の子、家の前を箒がけしているおばちゃん、そん
な人たちを多く目にする。綺麗なことは気持ちのいいこと、アフリカを旅していると
忘れかけてしまう感覚を取り戻すことができる。

その他
*両替レート撮影で尋問
世界には、独自の通貨というものがありながら、外国人旅行者には外貨払いが法律上または事実上強要される国々が存在する。北朝鮮などの孤立した国、セイシェルなど観光地もそうだった。国家が外貨獲得に必死なのだ。エリトリアも国家による外貨コントロールが厳しい点は共通だが、特殊なのは、現地通貨を使用すること自体はでき、ただ一定の銀行で公定レートで両替しなければならないという点。アルジェリアと一緒だ。このような国はたいてい闇レートというものが存在するのだが、現地人には外国人と両替に応じたり外貨を直接受領すると罰則が適用されてしまう。外貨払いを直接町ですることはできず(罰則を恐れて町の人が受け取ってくれない)、両替は多めにしなければならないが、いったん現地通貨にしてしまうと外貨に際両替するのはとても大変、という困った国なのだ。タクシードライバーによると外貨管理は年々厳しくなっているそうだ。ユニークな公定レート一覧表を記念に撮影しようとすると、・・・・。両替レートは重大な国家機密らしい。国民の外貨取得の自由を規制している点がニュースになってしまうのを恐れているのではないか。

  • http://4travel.jp/traveler/km/profile/

  • 【旅行時期】2005/04/~2005/05/
    【エリア】エリトリア
    【テーマ】
    【投稿者】km

    南部アフリカ一人旅〜?ビクトリアの滝編〜(ザンビア側へ行きたくて)(by シンバさん)

    ケニア
    今から十数年前にケニアへ行ったけど・・・ビッグ5(ライオン・ゾウ・サイ・バッファロー・ヒョウ)のうち、最難関のヒョウに出会うことができなかった。

    だから・・・どうしても・・・もう一度ヒョウに会いに行く必要があった。

    そして・・・10月上旬・・・どうやらこの月末に休暇が取れそうだ!

    この時期は丁度、南アフリカのジャカランダのシーズン!!

    よ〜し「ヒョウに会うぞ〜!!! ジャカランダを見るぞ〜!!!」
    目的は明確になったので、ネットで検索、ヒットしたツアーを申し込んだ。

    とにかく可能な限り詰め込んでできた旅程がこちら

    10月25日 セントレア(中部国際空港)⇒香港⇒
    10月26日 ヨハネ⇒ビクトリアホールズ (ビクトリアの滝観光〜ジンバブエ側、ザベンジ川サンセットクルーズ)
    10月27日 (チョベサファリ)
    10月28日 ビクトリアホールズ(ヘリコプターツアー)⇒ヨハネ⇒ケープタウン
    10月29日 ケープタウン(喜望峰&テーブルマウンテン観光)
    10月30日 ケープタウン⇒ヨハネ⇒フートスプレイト
    10月31日 クルーガー国立公園(私営保護区)
    11月 1日 フートススプレイト⇒ヨハネ⇒
    11月 2日 香港⇒セントレア

    その後、南部アフリカ旅行記を再度検証していて大きなミスに気がついた・・・ジャカランダはプレトリアが有名なようだ^^; 
    旅程に入っていない^^;
    けど、ビクトリアの滝も喜望峰も外せない、クルーガー国立公園は、そもそもの大前提である。

    ネットで問い合わせたら、「ひょっとして、ケープタウンで見ることができるかも知れません」との回答。

    「ひょっと」を信じて・・・Let's go!!!

    【旅行時期】2008/10/25~2008/11/02
    【エリア】ビクトリアの滝
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】シンバ

    トルコ旅行記(3):3月31日:ドバイ・ドバイ空港でのトランジット、イスタンブールへ(by 旅人のくまさんさん)

    ケニア
     昨晩、セントレア空港を飛立ったのは、定刻である23時前でした。予想がつかない飛行経路でしたが、日本列島を南下したあと、中国本土の上空を通過しました。大陸上空に入ったのは、上海より南の香港辺りだったようです。
     その後、中国からインドシナ半島を横切って、インド北部の上空に達しました。インド上空を過ぎてからはアラビア海に入ったようです。その前に、インドシナ半島上空を過ぎた後は、インドの東に位置するベンガル湾上空を飛んだようですが、夢の中でした。セントレアを飛立って、約11時間の夜間飛行でした。
     ところで、最新の航空機の内部照明は、心理・生理面から時差対策がなされているようです。単に明るくしたり暗くしたりで、夜や明け方を演出するのではなく、通路の上部には星空を思わせる照明もありました。

    <ドバイ到着、10時間のトランジット>
     出発10日前ほどに旅行計画書を受取って。気掛かりだったのが、ドバイでのトランジットの際の、10時間待ちでした。旅行会社からは「ドバイ空港での出入国は事故防止のために控えてください」とお聞きしていたこともあったからです。
     ドバイ空港は拡張工事の最中でした。エプロン工事がされていましたので、ほとんどの航空機が車載のタラップを横付けにして、バスでの移動のようでした。到着したのは、4時45分くらいの定刻でした。「最初の停留所では入国の皆さんが、二番目の停留所では、トランジットの皆さんが利用してください」との車内アナウンスがありました。
     バスを降りて、出発ロビーに入る手前でセキュリティチェックがありました。歯磨きなどは、予め透明の別の袋に入れておきました。

    <オーストラリアのニコラスさんと>
     ドバイ空港での長いトランジットでしたが、レストランでオーストラリア人のニコラスさんと隣席になってからは、あっという間に時間が過ぎました。その話を紹介しておきます。たまたま、ニコラスさんの横の席が空いたのがきっかけでした。
     私が日本人と分かると、すぐに日本語の単語を交えて話しかけてきました。かつて、お母さんの仕事の関係で、東京と札幌などを12日間旅行されたことが、日本人を見て話しかけたくなった理由のようでした。私も、かつてシドニーからメルボルンを旅行した事がありましたから、そのことだけでも話が弾みました。
     水泳のイアンソープ選手が引退した裏話、この後の首相選挙、食べ物や飲み物の話など、色々と話が飛びました。イアンソープ選手のことは、日本のマスコミにも載っていないようでしたが、微妙な話ですから、この小冊子に収録するのは控えておきます。この話になったのは、メルボルンで世界水泳大会が開かれていたことがきっかけでした。
     12年間続いたハワードヒューズ政権には、「国民が飽き飽きして、フレッシュな首相を望んでいる」と、自分の意見を交えて説明してくれました。「オーストラリアにとって一番気掛かりなことが、アメリカのブッシュ大統領の言いなりになって、イラン・イラク問題など、中東問題にのめり込み過ぎ」といった意見も披露してくれました。
     現在、メルボルン近郊の小さな町に住んでいて、今回の旅行は、シンガポール経由でアフリカ旅行と教えてくれました。アフリカはケニアを始めとする4カ国を回りたいとも話されました。シンガポールからドバイまでは7時間かかったそうですが、私が名古屋のセントレア空港から11時間かかったと説明しましたら、何度か聞き直しては、「そんなにかかったのか?」と、同情してもらいました。
     旅行情報の中では、「エアーズロックはアボリジニの聖地ですが、日本からの旅行者には、時間がかかる割には感激が薄く、お勧めできません。それよりは、ケアンズの近くのグレートバリアリーフが一番!」と力を籠めて勧めてくれました。
     「シンガポールは大都会で、私は好きではありません。それよりはマレーシアの方が、自然が残っていて好きです」と、インドシナ半島の国の話もしてくれました。話が弾んで、お互いに3杯目のお代りとなりました。私は生ビール2杯と、後は缶ビールになりました。生ビールが売切れてしまったためです。彼は、2杯目からはオーストラリア産の発泡ワインのような飲み物でした。サイダーに似た泡と色合いでした。
    私のフライトは午後でしたが、ニコラスさんは、彼の出発ギリギリの時間まで付き合ってくれました。インターネットを扱っているということで、彼のEメールアドレスをメモして頂き、私のホームページの名刺をお渡しして、お互いの旅の安全とエンジョイを祈って、お別れしました。

    <ドバイ出発、イスタンブールへ>
     ドバイ空港での昼食の話です。出発前にインターネットで調べておいたことですが、長時間のトランジットの場合には、エミレーツ航空系列店のラウンジが使用できるという内容でした。その情報を紹介します。
     「マルハバ・ラウンジは伝統的なアラビアン・スタイル。トランジットおよびご出発のお客様のために用意しています。ご出発までのひとときを快適にお過ごしください。マルハバ・ラウンジはターミナルのブルー(東)セクションの突き当たり、25番ゲートの近くにあり、クラスに関係なくすべてのお客様にご利用いただけます」
     朝早い時間にマルハバ・ラウンジに立ち寄りましたが、「ブッキングしていないから、ラウンジの使用は駄目」と言う回答でした。それで、別のレストランに入り、ニコラスさんと盛り上がる結果となりました。
     今度は昼食のレストラン探しの時に、あるお店の前に「エミレーツ航空を利用の方で、4時間以上の滞在をされる方は、無料で食事サービスをします」との英文看板を見つけました。それで、搭乗券を見せましたら、その案内看板の通り、無料でのバイキング方式のランチサービスがありました。ランチの利用時間帯は、12時から15時と記されていました。
     そのお店で昼食を摂った後も、少し時間が余りましたので、免税店で飲み物を探しました。セントレア空港でオールドパーを買い求める時に、ドバイ乗継の状況を店員さんにお聞きしたら、「没収される可能性がありますから、ここで買うより、ドバイ空港の方が確実です」と親切にアドバイスしてくれていました。オールドパーはありませんでしたから、ジョニ黒にしました。随分長く待ちましたが、定刻でのドバイ出発となりました。

    <イスタンブールへの航路>
     セントレア空港のエミレーツ航空カウンタでのチェックインの時、ドバイ空港までは通路側の席が注文できました。しかし、ドバイからは窓側の席か取れませんでした。しかし、3席続きの2席も空席でしたから、結果としては、自由に3席を使用することができました。
     明るい時間帯での飛行でしたから、窓際からの景色も楽しむことができました。座席の前のフライトサービスの画面と合わせ、ドバイからイスタンブールまでの航路を確認しながらの搭乗でした。
     その飛行経路を簡単に紹介しておきます。ドバイを飛立った後は、ペルシャ湾を北西に向かって飛び、カタール国とバーレーン国の沖合を過ぎました。陸上に入ったのは、ペルシャ湾が尽きる手前、サウジアラビアです。ここからは暫くイラクとの国境近く、緩衝地帯を飛行しました。サウジアラビアを過ぎると、ヨルダンからシリアの上空を経て地中海上空に達しました。細かく進路を変えて、イラクと、レバノン上空は通過しなかったようです。
     地中海に入った後は、キプロスの東の端を掠めてからトルコの上空に入りました。そのトルコを西方面へ斜めに飛んで、イスタンブールのアタチュルク国際空港へ降り立ちました。
     写真編には、上空から見たその一部を収録しておきましたが、面白い光景にも出会いました。その一つが、ドバイ沖です。大掛かりな人口の島でも作っているような不思議な幾何学模様でした。また、サウジアラビアの内陸部では円形の貯水池のような施設が無数に見えました。淡水化事業関連施設なのかどうか、詳しくは分かりませんでした。

    <イスタンブールへ到着、全員集合>
     旅行計画書に記載された時刻から逆算したフライト時間です。ドバイからイスタンブールまでが3時間15分、その戻りが5時間15分でした。いずれも現地時間で記載してあるはずですから、時差が1時間と仮定しますと、往復とも4時間15分のフライトとなります。
     ほぼ定刻に出発し、イスタンブールに到着しました。空港で出迎えてくれたのは、トルコ人の現地ガイド兼添乗員のスワウィさんでした。ここで、はじめて16名全員が勢揃いしました。

    <ホテルへ、早速外出>
     旅行計画書には、この日の夕食は記載されていませんでしたから、予めその準備をしていました。ドバイ空港のエミレーツのレストランで昼食を済ませていましたから、機内食が余分だったためです。機内では飲み物だけにして、持ち帰りが出来るものをリュックに入れて置きました。パンとバター、それにクッキーです。
     後でお聞きしたお話では、食事をせずにそのまま就寝された方がほとんどだったようです。私は機内から持ち帰った食べ物と、ドバイ空港で買ってきたジョニ黒で、無事の到着を祝って一人で乾杯をした後、外出することにしました。
     外出と言っても、ホテルの近くだけの散策です。人通りはほとんどありませんでしたが、治安が悪そうな雰囲気ではありませんでした。開いているお店は、小さなコンビに等でした。路面電車が走っている表通りと、坂を下ってロータリーがある広い交差点付近までを散策しました。


      ドバイ空港で
     旅人に国境は無したまさかに出逢いし人と語らう酒場

      機内で
     戦乱の未だ収まらぬ中東に砂漠見下ろす空の碧濃し

      イスタンブールに着いて
     欧州は東に果てて小アジア海峡抱く街に今立つ

    【旅行時期】2007/03/30~2007/04/05
    【エリア】イスタンブール
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】旅人のくまさん

    ケニア関連エントリー

    【派遣者の声】萩原 健(ケニア・ナイロビ ロジスティシャン)

    派遣者の声 萩原 健(ケニア・ナイロビ ロジスティシャン) 今回の派遣 派遣期間:2008年6月~2008年12月 派遣国・プログラム地域:ケニア・ナイロビ(マタレ地区) ポジション:ロジスティシャン(物資調達管理調整員) 1.なぜMSFの海外派遣に ...

    【派遣者の声】萩原 健(ケニア・ナイロビ ロジスティシャン)

    ケニアで漏れたガソリンに引火

    ... ( 2008/02/02 RKB より) アフリカ東部ケニアの中部モロで2月1日未明、ハイウェーから外れて横転した車両から漏れたガソリンに引火して大規模な爆発が発生し、100人以上が死亡、117人以上が負傷した。警察と赤十字関係者が明らかにした。 ...

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    ケニア満喫サファリ8日間の旅

    かなり珍しい懸賞なのではないのでしょうか アフリカのケニアのサファリに行けると言う懸賞が、 ダノンヨーグルトのHPから応募できます。 3月14日から公開されるマダガスカル2との タイアップ企画の一環でのプレゼント。 ...

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    [海外][ネタ]【赤壁】ケニアで横転したトラックの油を盗もう ...

    情報 元: 無駄な領域リサイクル さん まぁ、 自業自得 としか。 コロニルデリケートクリーム コロニル 日米同盟の新しい設計図―変貌するアジアの米軍... 日本評論社 長島昭久 コメントを書く

    [海外][ネタ]【赤壁】ケニアで横転したトラックの油を盗もう ...

    ケニアの甘味

    ... MOKICHI珈琲 のケニア(ケントメアー農園・フルシティロースト)を飲んだとき、 ペーパードリップよりも、ネルドリップの方が、甘味が強い。 ... スペシャルティ珈琲!ナチュカフェ のケニア(カラバ・やや深煎り)を飲んだとき、 ペーパードリップよりも ...

    ケニアの甘味