コンゴ旅行記

ポルトガルひっとり旅(10) 6日目 エヴォラ(by じんさん)

コンゴ
トマールから一気にエヴォラへと向かう。途中、給油しながら2時間半ほどで到着。

「エヴォラ(Evora)に行ってくる」と言うと、よくエボラ出血熱のエボラ(Ebora)と誤解されたものだが、あれはアフリカ・コンゴにあって、エヴォラとは無縁だ。

ポルトガルのエヴォラは周囲を城壁に囲まれた城砦都市で、白と黄色を基調とした統一感のある街並み、ローマ時代の神殿、水道橋やカテドラルなどの歴史的建造物が特徴。これらをひっくるめて「エヴォラ歴史地区」として世界遺産に登録されている。

【旅行時期】2008/12/31~2008/12/31
【エリア】エボラ
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】じん

Equatorial Guinea(by kmさん)

コンゴ
Malabo 腐り切った役人。しかもかなり強圧的。腐りきっている国が多いアフリカでもギニアと並んで最悪の印象。アフリカでは(西サハラを除く)唯一西語通用。写真厳禁、唯一飛行機内から撮影した海底油田。在外大使館がほとんどなく、ビザ取得至難。石油開発でGNPの伸び(2002年度20%近く)は世界一。モービルで持っているようなものなので、米人ビザ免除(うらやましい)。ドアラまでのった無名の飛行機は、飛ぶのが信じられないほどお粗末。椅子は木製で背もたれは前に倒れる(これは、軍用転化して荷物を運べるようにするため、コンゴ国内線などもそうだった)。緊張ばかりで楽しめなかったのでもう一度行きたい。

【旅行時期】2003/12/~2004/01/
【エリア】赤道ギニア
【テーマ】
【投稿者】km

Angola(by kmさん)

コンゴ
LBV-LAD-WDH
場所:南部アフリカ
旧ポルトガル領、大好物のポルトガル・エッグタルトにありつける幸せ
ダイヤモンドと石油に恵まれているがために周辺国や米ソの介入を招き長く続いた内戦は25年ぶりに終結。一応平和。観光客僅少。訪問するなら今がチャンス。在日大使館でのビザ取得はきわめて困難。一方で投資を呼びかけながら何ゆえ外国人の渡航をそこまで制限する必要があるのか。
生活レベルとつりあわない高物価
首都ルアンダの治安は悪いので要注意
世界で最も写真を取りにくい国のひとつ
ソ連共産主義の影響を強く感じる広い道、無機質で古いビル
空港で7連泊のコンゴ人
次回はカビンダ、ルバンゴにも行きたい

  • http://4travel.jp/traveler/km/profile/

  • 【旅行時期】2005/08/~2005/09/
    【エリア】アンゴラ
    【テーマ】
    【投稿者】km

    『2008中国景徳鎮国際陶磁博覧会』開幕(by 景徳鎮友好親善大使矢島さん)

    コンゴ
    2008中国景徳鎮国際陶磁博覧会が開幕しました!日本からの出展ブースには『京セラ』様や『九谷焼』『IMAKUTANIGAMA』『瀬戸』『京都』『九谷』等の著名作家の皆様の作品が展示されています。
    今年は新たにオランダのROYAL DELFTやベトナム、コンゴの皆様が参加されました。今年は世界38カ国からの出展が有りました。
    IACの世界の著名陶磁作家の作品を中心に、日本、韓国、米国、イギリス、オーストラリア、イタリア、フランス、ベトナム、ナイジェリア、コンゴ、北朝鮮等、世界著名作家の皆様の御列席や、中国全土からの著名産地の商品が出品され、珍しい言葉が飛び交い国際文化芸術交流の花が咲きました。韓国の利川市の陶芸作家の皆様が団体で沢山見えられました。国際文化芸術交流、国際貿易経済交流の花が咲きました。今年初めて中国文化部の主催で大型の第一回国際オークションが開催されました。中国の好景気の象徴でしょうか?
    中国高級工芸大師(人間国宝)作家の作品が日本円で1000万前後でどんどんと競売、落札され驚かされました!日本との物価差を考慮すると大変な額になります。今回の最高金額は近代作家作品が210万元、最低金額でも2万元(日本円約36万)で、150点余の作品が3時間で全て完売落札されました。

    【旅行時期】2008/10/12~2008/10/26
    【エリア】景徳鎮
    【テーマ】海外移住・ロングステイ
    【投稿者】景徳鎮友好親善大使矢島

    イクバルホテル、アルマンスーラ、ニューケニアロッジ、リバーハウス、680ホテル@ナイロビ/ケニア(by みどりのくつしたさん)

    コンゴ
    1988年のこの時期、「1ケニアシリングは8円」と考えていいです。

    1泊250シリングで豪華食べ放題朝食つきの「Hotel Solace」のあと、1泊160シリングで朝食つき(ただし果物はバナナ1本)の「Hill Crest Hotel」と移動した。
    そしてついに、念願の「イクバルホテル(Iqbal Hotel)」へとチェックインする。

    この時期、イクバルホテルは、とにかく賑わっていた。
    だから、昼過ぎに来ると、ほとんど部屋はもらえなかったよ。

    チェックインの時間が決まっていて、その時間には宿泊希望者の長い列が続いたものだ。
    僕は、何日かイクバル一階のレストランに通って、身体と精神を慣らしてから、泊まることに決めた。

    1988年のイクバルホテルというのは、ホテル自体も有名だった。
    しかしその一階のレストランが、世界中のバックパッカーが集合するところだったんだ。

    常に人で混んでいて、面白そうな人間がいた。
    また、チャーイ一杯でいくら粘っても良かったので、だらだら暇つぶしするのに最適だった。

    この時代のナイロビというのは、話のネタになる、冒険旅行の起点だった。
    つまり、ナイロビに来て、サファリに出て終わりなどという旅はしてなかった。

    僕もただアテネからカイロへ飛ぶ切符を捜していたら、ついでにナイロビに来てしまっただけ。
    しかしナイロビまで来たら、かなり大胆な計画を立てていたよ。

    一番単純な旅でも、陸路でウガンダ、ルワンダ、ブルンジと移動して、タンザニアから戻ってくるルート。
    もっといって、ザイール(コンゴ)へ入って、ザイール川をリバーボートで下って、アフリカ横断するのも珍しい話ではない。

    僕は陸路で南アまで下ろうか、それとも西アフリカへ行こうかと迷ったりした。
    考えているうちに、とにかくビザだけでも取ろうというので、次々にめぼしいビザを取りまくったんだ。

    この時代だと、まだ南アではアパルトヘイトがあって、南アのスタンプがあると、ブラックアフリカへは入国できないとかいろんな話があったころだ。
    タンザニアとザンビアを結ぶタンザン鉄道も、とにかくひどいという話だった(1996年にタンザニアへ行った時は、豪華国際列車として紹介してあったが…)。

    とにかく、イクバルホテルの2階のツィンルームを1人で借りきった。
    そのころ1泊が90シリング、つまり720円だ。

    これは本当に正直な話をすると、自慢出来る事ではない。
    バックパッカーはベッドを借りていて、それが45シリング。

    つまり、ほとんどの旅行者は360円払って、ドミに寝ていた。
    ただ僕は、このときかなりのお金を持っていたし、安全を第一に考えていたので、個室に泊まっていた。

    だからイクバルでは2人分の金を払って、ツインの一室を自分ひとりで使っていた。
    イクバルホテルでは、黒人の使用人が部屋も廊下もホウキで掃除をしていた。

    でも僕は常に部屋に鍵をかけていたので、一度も掃除されることはなかったよ(笑)。
    イクバルホテルで泊まれなかったバックパッカー諸君は、他のホテルにも泊まっていた。

    それが、イクバルの近くの「ニューケニアロッジ」だった。
    僕も、イクバルのレストランで出会った日本人の宿探しで、ニューケニアロッジに行ったことがある。

    また、「アルマンスーラホテル」には、特に日本人旅行者が固まっているという噂があった。
    実は僕がイクバルに入る以前に、イクバルに泊まっていた日本人旅行者連中とイクバルのスタッフの間でトラブルがあったらしいんだ。

    それで、長期滞在の日本人諸君は、アルマンスーラに移動したという話だった。
    僕は興味を持って訪ねていったが、それほど人が多いわけではなかった。

    アルマンスーラの場所もそんなによくなかったしね。
    しかしこの時代、実は本物の本格的日本人アフリカ旅行者は、一箇所に固まっていた。

    それがリバーロードにある伝説の日本人宿「リバーハウス」だったのね。

    リバーハウスだと、この時期1泊20シリングで泊まれた。
    しかし、リバーハウスは普通のアパートを日本人が4室ぐらい借りて、共同生活しているところで、本当のホテルという訳ではない。

    リバーハウスでは部屋の2段ベッドや床でざこ寝をしたりする。
    プライバシーを最も大切と考える僕としては(まだ、資金的にも余裕があったので)ここに転がり込む事はなかった。

    しかし、世界中の全ての日本人宿の常識として、日本語の本のライブラリーがある。
    特にこのリバーハウスでは日本風料理を自炊していた。

    食事の用意を手伝ったり、顔なじみになると一食20シリングで食べられた。
    なまぬるいタスカービールも1本10シリングで飲めたので、しょっちゅう顔を出していた。

    こういう世界各地の日本人宿には、旅行を始めたばかりのくせに「旅行通」を気取る中途半端な日本人がよくやって来る。

    リバーハウスにも「ケニアにやって来たのにインドの話ばかりする」(これは世界中のどこにでもいるインドかぶれだ)とか「エジプト経由で来たことを示そうと、エジプト音楽のテープを流す」とかいう中途半端な連中がいたね。

    あと、日本からのツアーなんかがよく利用していたのが「680ホテル」だった。
    これは値段は手ごろで、シティホテルとしての設備もちゃんとしていた。

    格式も高くないので使いやすかった。
    というのは、ナイロビなんかになると欧米人専用の格式高いホテルがある。

    そういうところだと、日本人はやはり居心地が悪いものなんだよ。
    例えば、待ち合わせの場所としてちょっと高級だったのが「ニュースタンレーホテル」だった。

    この1階に「Thorn Tree Cafe」という有名なカフェがあって、伝言の紙切れがたくさん貼ってあった。
    ここも、日本人はちょっと行きづらい雰囲気があったね(僕は行ったけどね)。

    680ホテルには、日本料理店の「赤坂」が入っていた。
    赤坂の昼飯はご飯のお変わり自由だったので、よく通ったものだ。

    それから、ちょっと離れていたが、ユースホステルがあったね。
    ユースに泊まっていて、確か改装工事のために追い出されて、イクバルへ来た日本人旅行者もいたよ。

    これが、1988年のナイロビのホテル状況だったわけだ。

  • http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/africa/iqbal_room.htm

  • 【旅行時期】1988/06/~1988/06/
    【エリア】ナイロビ
    【テーマ】世界一周
    【投稿者】みどりのくつした

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